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越後名物三角達磨のページ  

越後名物 三角達磨

  三角達磨は起上がり小坊師のひとつで、その昔から七転び八起きを願い  
  農村にあっては蚕がよく起きるように、漁村にあっては舟が嵐にあっても  
  早く浮き上がれるように、また病気や災いなどから早く再起できるようにと  
願いをかけた縁起物です。「七転び八起き」「無病息災」「家内安全」
「厄除け」を願い、市(いち)や縁日などで販売されておりました。

かつては柏崎市、今町(現在の見附市)、加茂市、水原町(現在の阿賀野市)、新潟市等
県内各地で作られそれぞれ色や顔に特徴がありました。


厚紙を円錐形に作り底に粘土を重しとして付け、和紙を貼り、色付けした物で
その形の珍しさでは全国的に類を見ず、
新潟県を代表する民芸品になっております。


新潟 家内喜屋

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三角だるまの歴史

三角達磨がいつ頃から作られたのかは定かで無い。
良寛(17581831年)和尚が、当時の玩具「はりころがし(三角達磨)」の絵に
賛を書いたと云われていることから古い歴史を持っているものと思われる。

発祥は中越地方と云われ、当時の主な産地としては柏崎、三条、加茂松原などであった。
その系を引いたものが今町、水原山口の諸氏との記述もある。


当時の三角達磨の多くは土人形の制作者によって作られた。
これは、土人形の下地として塗る胡粉(ゴフン)や彩色に使用する(日本画材料と同じ粉末状の)
岩絵の具(主に鉱物を主とした絵の具)に必要な固着剤として膠(ニカワ=ゼラチン)
を混ぜて使用する、その技術も必要であったと思われる。
当時の赤い顔料には鉛を含むものがあり、玩具への使用が禁止されたため評判を落とし
一時期売れなくなるようなこともあった。


大正末期〜昭和初期
昭和5年発行の「日本の郷土玩具(東の部)」(武井武雄著)(東で前ページ340ページ)による
三条の三角達磨は30年前に廃絶
今町の三角達磨は三条の後裔に当たる橋本政次の創始
大阪天王寺でさえ模作されている有り様である。
山口土人形(水原の三角達磨含む)は三条・松原の系をひくもの。
山口(水原町山口)の三角達磨は今町のとは全く作風を異にした素朴きわまる
もので、ずっと短く和紙を巻いただけで張り子とはいえない。上下を朱で彩り、眼は
紙地のままに墨の二点を飛ばし、さらに口はへの字で片付けている。土臭濃厚
都会の子供など到底想像も及ばぬものである。作者はベトと同一鳩屋徳四郎。

見附の三角達磨 作者石田は今町橋本の弟子の如きものに相当し今町と全く同型。

大正末期頃には、三条は廃絶、
製作していたのは、今町の橋本政治氏、見附の石田氏、柏崎等であった。
水原の今井氏は製作を何度か中断。当時名は「こぼうし」


戦時中は殆どが 廃絶または中止   戦後、民芸復興期に入る

昭和20年代
全国的に民芸運動が活発化する中、水原の今井氏は製作を中止したままであった。
三角達磨の担い手が無い中、新潟や柏崎で再現、作成されるようになった。

当時 新潟県の選定土産品として、
新潟泉屋成川氏の「越後だるま」(5色の小さい三角達磨)昭和60年代まで製作その後廃業

柏崎の藤村人形店「三角だるま」  の記述有り。
みなと人形本舗家内喜屋(やなぎや)では、赤色がベースの厳つい顔の三角達磨を制作している。
新潟市観光と物産小冊子や、全国紙「おもちゃ」29号全国のだるま特集にもその記述有り。
このころ今井氏徳四郎はまだ制作を休止していた。


昭和30年代
水原山口 今井徳四郎氏 山口人形、三角達磨を復活する。
徳四郎氏がデザインした三角達磨は既存の赤い達磨のイメージから脱却し
橙と青のユーモア有る明るさから注目を集め、その名を不動のものとした。

昭和32年発行の「おもちゃ29号」
全国のだるまが記録されている
三角達磨の記載については右記
廃絶や中止していたため
リストには新潟は丸山のみ
加茂、水原、新潟で復活
したことが書かれている。
郷土玩具研究家の
河口栄三氏による説明

 

昭和20年後半新潟市、会議所発行の
「新潟の物産・観光」より
柳の木彫り人形と三角達磨
昭和30年代
吊されるようなデザインの
三角達磨。顔も少し変化
みなと人形で昭和20年代に
作られた三角達磨
昭和30年代輸出用に
作られたサンタダルマ
木に吊せるよう軽くなっている

昭和30年代前半資料
新潟県作成の
「新潟県観光土産品のしおり」

表紙には「みなと人形」
が使用されている。
17ページ目に新潟泉屋の
越後だるま」とあるのは
三角達磨のこと
1ページ目
新潟県で土産品の
選定制度ができた
2ページ目
推薦品リスト泉屋に「越後だるま(三角達磨)」
左上の柏崎藤村人形店「三角だるま」の記述
4ページ目には
水原今井氏の名もある

 

    三角達磨英文説明

 The Echigo-style CONICAL DARUMA

The CONICAL DARUMA tumbler is one of a great variety of Daruma ,
the deity that always recovers from a fall .
It is made by first bending a stiff piece of paper into the shape of a cone ,
and weighting the base with a piece of clay .
It is then covered with “Washi-paper “ and painted .
These distinctive toys are one of the handicrafts for which
Niigata prefecture is known .

 They are symbols of good fortune , promising
“ To recover eight times from seven falls “ .
Farmers display them to assure the successful of silkworms ,
and fisher man to keep their boats afloat on stormy seas .

The CONICAL DARUMA is also considered good luck charms ,
for quick recovery from illness and disaster .

            Niigata Minato Ninngyou Honpo(みなと人形本舗)






 

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