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上杉謙信は戦国時代における越後の大名.
幼名を長尾虎千代といい 景虎→上杉政虎→輝虎→謙信と変えました。
仏門に入り「義」を重んじるようになったといわれ、上杉謙信が好んで使った言葉
「第一義」は禅の言葉です。

「義」は上杉謙信の行動規範となり、「義」の戦をしたことから聖将と呼ばれることに
なります。また、自らを毘沙門天の生まれ変わりと称し、仏法を守る四天王の中で最強の
毘沙門天の「毘」を旗印に使用しました。 武田信玄との川中島の戦いは有名で、後世は
越後の虎とも越後の龍とも呼ばれました。



直江兼続
は、豊臣秀吉、徳川家康も恐れた越後の智将。
上杉景勝の信任を得て、上杉謙信の亡き後の上杉家の家老として活躍しました。また
豊臣秀吉からも智将として豊臣の姓を受けました。上杉謙信の影響を受け、「義」に厚く、
兜の前立てには信仰する愛染明王の「愛」の文字を掲げ、人間愛を求めました。
「義」の上杉謙信に対し「愛」の直江兼続として知られています。


 上杉家は豊臣秀吉の信任厚く加増移封され越後から会津に移りますが、すぐにその
国造りを徳川家康より詰問されます。家康の野心と脅しに屈せず「義」を通して、したためた
直江の返書「直江状」は有名です。家康はこのことを利用し、会津上杉討伐、関ヶ原の戦いへ
と進みました。関ヶ原の戦い後は上杉家は会津120万石(2年間)から米沢30万石に減封
されました。